相続分とは相続人の取り分
相続分は良く聞く言葉ですし、実際に相続分がどのようになっているか、ご存じの方も
沢山いらっしゃると思います。
なので、ご存じの方には釈迦に説法みたいな話ですが、知識の再確認としてご覧下さいね。
相続分とは、要するに「相続人の取り分」のことです。
亡くなった人の相続人がもし、一人しかいないような場合、例えば夫が死亡して妻だけ、とか
父は既に死亡していて、母が死亡したけど一人っ子だったとか、そのような場合にはそもそも
相続分という問題はおきません。つまり相続人が一人の単独相続の場合には、亡くなった人の
遺産を全部貰えばよい訳です。
法定相続分は強制されるものではない
一方、相続人が複数いる場合、誰かと共同して相続することになります。(これを「共同相続」
といい、その各相続人のことを「共同相続人」といいます。)
実は意外と誤解が多いのですが、この共同相続となる場合には、まずは共同相続人全員で、
財産をどう分けるかの話し合い(これを「遺産分割協議」といいます。)が必要となります。
もちろん、遺言がある場合には基本的に遺言の内容に従いますが、全部についての遺言が
ない場合や、そもそも遺言がない場合は、遺産分割協議を当事者が行うことになります。
なお、その遺産分割協議でどのような分け方をするかは、全くの任意となります。
例えば、上の例で父Aが亡くなった場合、相続人は母Bと子C、D、Eの4人となります。
遺言はなかったとしますと、まずはこの4人で話し合いをすることになります。
で、例えば単純に4分の1ずつ分ける、というのも全然オッケーなのです。
もちろん、当事者全員が納得している前提で言えば、ですが。
揉めたときに出て来るのが相続分
しかし、このうち誰かがそれで納得せず、遺産を巡って争うことになってしまうと、
「出るトコ出ようぜ」って話になります。つまり、裁判所で争う、ということです。
こういった家庭内の事案を管轄するのは家庭裁判所ですから、具体的には家裁で、
ということになるのですが、家裁もすぐには裁判(審判)にはしてくれません。
当事者間でまだ解決しうる余地がある場合には、まずは調停という手続きをする
ことになり、それでもダメなら審判となります。
この調停や審判となると、顔を出してくるのが民法に定める相続分なのです。
つまり、相続分とは、早い話、「揉めたときに出て来るもの」という性格なのです。
因みに、民法に定める相続分には大きく3つありますが、一般的に使われるのが
法定相続分(民900)と代襲相続分(民901)です。
(代襲相続分の話はまた別のところでお話します。)
なお、法定相続分は次のようになっています。
①相続人が配偶者と子の場合(第一順位)
配偶者1/2、子1/2(子が複数の場合には基本的に更に均等に分けます。)
②相続人が配偶者と直系尊属の場合(第二順位)
配偶者2/3、直系尊属1/3(直系尊属が複数の場合には基本的に更に均等に分けます。)
③相続人が配偶者と兄弟姉妹の場合(第三順位)
配偶者3/4、兄弟姉妹1/4(兄弟姉妹が複数の場合には基本的に更に均等に分けます。)
なお、兄弟姉妹のうちに、両親が同じ兄弟(これを「全血兄弟姉妹」といいます。)と、
いわゆる異母兄弟や異父兄弟のように両親が同じでない兄弟(これを「半血兄弟姉妹」と
いいます。)がいる場合には、半血兄弟姉妹の相続分は全血兄弟姉妹の1/2になります。
まずはきちんと話しましょう
このように相続分は揉めたときのガイドラインになるものですから、その通りに
分けたくないのであれば、まずはしっかりと当事者で話し合うことが必要です。
そもそも民法には「遺産の分割は、遺産に属する物又は権利の種類及び性質、各相続人の年齢、
職業、心身の状態及び生活の状況その他一切の事情を考慮してこれをする。」(民906)
という、遺産の分割についての規定があります。
読み流してしまうと、何か当たり前のことを書いているだけって感じになりますよね。
でも、よくよく考えてみると、こんなある意味訓示的なことをわざわざ民法は規定している、
ということに気付いて頂きたいのです。
相続の現場で良く見られる光景なんですが、遺産を分ける話になると、途端に面倒臭いなぁ、
という空気になったり、やりたくない空気が出てきたりします。
それはある意味当然なことかもしれません。もともと家族同士の関係性は、いままでの生活の
中で培われたもの。しかもそれは損得などを抜きにしたところにあります。
むしろ、お金に絡む話は、あえて避けてきたりする場合も少なくない。
それが遺産分割になるとどうしてもお金に絡む話になりますから、場合によっては今まで
上手くやれていた関係性にも影響を与えかねません。
そんな訳ですから、お互いにお腹の中では思っている通りに事が運んでほしいと考えつつも、
それを口にしたくない、という力学が働くのです。ある意味、仕方ないことです。
でも、そうありがちだから、民法は敢えて規定をしたのではないでしょうか?
つまり、相続の際にはちゃんと腹を割って話そうよ、ってことを言いたかったのじゃないかと。
僕はそういう解釈をしています。
逆に言えば、家族だからこそ、遺恨が残らないようにしなければならないのではないでしょうか。
まぁ、そうは言っても話もできない場合もあったりするので、理想論かもしれませんが・・。